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思い立ったが吉日

好きなものを好きというために

あした地震が起こったら

地震についての一番古い記憶は、幼稚園の頃。地震体験車に乗せてもらったことだと思う。

それは一種のアトラクションのようで、怖がるよりむしろ面白がっていたと思う。非日常に怖いものや辛いものがあるだなんて知りもしないし思いもしなかった頃だった。

 

関西淡路大震災は小学一年生の頃だったかな。まだ大阪が日本のどの辺にあるかも知らなかったから、テレビの映像が違う世界のことにしか思えなかった。定期的に行われる避難訓練もそこそこ真面目には取り組んでいたがただただ言われた通りに動いているだけで面倒ごとにしか思っていなかった。

 

地震を体感したという記憶で一番古いものは、小学二年生くらいの夏休み。祖父の田舎に家族で旅行に行って、夕飯を終えてアニメを観ていたときに突然揺れて弟とちゃぶ台の下に隠れた。震度3くらいだったらしいけれど、もっと大きい揺れのように思えた。ちゃぶ台に隠れたのは面白半分だったけれど、それなりにびっくりはしていた。

 

東日本大震災は大学5年生の頃。実習先で実習の最中だった。今まで体感した中で一番大きくて長い揺れだった。壁一面に置かれた棚がぐらぐら揺れて、全員外に避難した。隣のブロック塀にひびが入っていた。電車が止まっているというのに帰れと言われて、電車5駅分の距離を歩いたりバスを乗り継いだりして帰った。普段1時間くらいの距離に8時間くらいかかった。途中バスが全然来なくて3時間くらい外で待っていたんだけれど、パンプスとストッキングだけのつま先がどんどん冷えて、立っていることさえできなかった。ようやく来たバスが私の前で満員になってしまって、でも一番入口の近くにいたお兄さんが詰めてくれたおかげで何とか乗ることができたときは思わず涙が出た。家は少し物が落ちていたりしていたけれど何事も無かった。この時もテレビで被災地の惨状を知る。その後しばらく自宅待機となって、節電のためにいつもより電気を使わないようにしていた。それくらいしかできなかった。何をすればいいのかわからなかった。Twitterは眺めていたけれど、誰もが何かやりたくて、でもどうすればいいかわからなくて空回りしていたり誰かとぶつかっていたりしているような。そんな気がした。

 

数年後の夏、友人とGLAY EXPOに参加すべく震災後初めて東北へ。仙台と郡山を主に観光したけれど、特に問題無く観光できた。東北はもう大丈夫なのかな、なんて何の根拠も無く思った。

 

そんなことは無いと知ったのは、恥ずかしながら今年の夏。一人旅でいわきに行ったとき。散策の途中で偶然辿り着いた仮設住宅区域を見て、電車に乗り遅れて予定に無かったタクシーに乗って運転手さんから当時の話を聞いた。まだ終わっていないし、そしてこれからもずっと残っていくんだろうと思った。

 

ここまで書いたのが、私の中にある地震に関するできごと。きっと実際に被災された方々にとってはほんのかすり傷にも満たないだろう。でも、そんなかすり傷でさえ、今朝みたいなほんのちょっとの揺れですぐに開いてしまうんだと知った。

 

関東大震災は、いつか必ず起こる。もうずっと前から言われているけれど、まだ起こっていない。でも、こういったいくつものかすり傷が、ちょっと揺れが長引くだけでも不安を引き起こす。もしこの揺れが終わらなかったら、もっとひどくなったらどうしようと。今朝も布団の上で起き上がったまま、揺れが止まるまで身動きが取れないでいた。

 

ただ私の悪いところは、どうしようで止まってしまっていることだともその時思った。もし地震が起きてしまったら、すぐにするべきことは何か。揃えるものは。行くべき場所は。ちいさいながらも傷はあるとは言え、でもちいさいが故にすぐ閉じてしまうしどこにあったのかさえもすぐに忘れてしまう。折角だから傷がまだ開いているうちに、ちゃんと考えていかなくちゃ。

 

あした地震が起こったら、私は何をするべきだろう。